浮き橋
2022年8月29日
言葉とはふしぎなもので、使い方、語り方で、その意味も雰囲気もガラッと変わってしまいます。
「浮き橋」とは、水上に筏や舟をならべて、その上に板を渡した仮の橋のことです。思い出されるのは『源氏物語』の最終巻「夢浮橋(ゆめのうきはし)」でしょう。尼になった浮舟と薫の美しくも悲しい恋の物語です。だからでしょうか、「浮き橋」には切なくやりきれない思いが付きまとうような気がします。
ところが、美術家の篠田桃紅さんはちがいます。「夢浮橋」を、ただ「うつくしい」のだというのです。
―― 心と技の隔たりの深まるにつれて、墨のいざないは、不思議にまた深まるものである。
毎日、ダメだ、ダメだ、と言いながらも、いそいそと硯に水を注いでいるのだ。
それにしても、老いの身の、とぼとぼと辿るにしては、心の夢の浮橋の、何とうつくしいことか。 (『桃紅 私というひとり』より)
107歳という長寿をまっとうし、生命がつきるまで美術家として作品を創造しつづけていた桃紅さん。筆と墨に人生をあずけ、最期まで情熱を絶やさず筆をふるうなど、そう易々とできることではありません。それでも、桃紅さんが筆と墨を手立てにして心と技にかけた浮き橋を一本の線で描いて見せてくれたように、人はいくつになっても、心に描く夢に浮き橋をかけ、かたちで表すことができるのだと思います。
それはどんなかたちであっても、きっとうつくしいと思うのです。
(220829 第117回)