木下闇
2022年6月11日
まばゆい日向とは対照的な、木々の下の暗い木陰が「木下闇(このしたやみ・こしたやみ)」です。
とくに夏の木立が鬱蒼と茂る、昼もなお暗い様子をこういいます。
「闇」という謎めいた言葉とはうらはらに、木下闇は静寂を愛する生きものたちの楽園なのでしょう。
国上山西坂の中腹、老杉に囲まれた五合庵で、俗世から離れてひっそりと暮らしていた良寛は、きっとそのひとりにちがいありません。
―― 山かげの 岩間をつたふ 苔水の
かすかに我は すみわたるかも
五合庵のくらしは山かげの岩の間から滲みでる苔水のようにかすかではあるけれど、だからこそ心身はその水のようにすみわたっていくようだと書き記しています。
作家の髙樹のぶこさんは、小説の舞台にした八ヶ岳南麓に取材に行った時、山の案内人から木々たちの激しい生存競争の話を聞いたとエッセイ集『葉桜の季節』で語っています。
木々たちは、太陽の光を手に入れるためには下葉の犠牲を厭わない。なかでも杉や檜は競争の勝者。彼ら勝者たちが作り出す木下闇は、そのぶんだけ暗く深い。しかしこの闇の中にこそ、チゴユリやスズラン、イカリソウなどのおもしろい植物が繁殖し、ささやかな宴をくりひろげているのだそうです。そのなかのひとつ、座禅をする僧のようだと名付けられたザゼンソウに、良寛の姿が重なりました。
―― 世の中に まじらぬとには あらねども
ひとり遊びぞ 我は勝れる
ないものを求めてひたすらに競い合うよりも、良寛のようにあるもので満足し、心の通いあう友人たちと楽しく過ごしたり、ひとりのときは静かに好きなことをして暮らせたら、心身も穏やかにすみわたっていくような気がします。
(220611 第111回)