初源の空に響く妙音を描く
玄なる空間を象であらわす
画家
松原賢
MATSUBARA Ken
独学で身につけた画才で空間世界を描く画家、松原賢さん。あるできごとから自然の初源に触れ、空間に潜む「音」の抽象をキャッチ。そこから生命誕生の原点に立ち返るがごとく、見えないものを見える象であらわそうと新たな表現に挑みつづけます。使う絵具も、土や砂、墨などの天然素材で手作りしたものばかり。絵という表現方法でオリジナルの人生を生きる、異才の人生ストーリーをご覧ください。
混沌から音の世界へ
およそ宇宙のはじめに混沌があり、そこから象(かたち)あるものが生まれたと『古事記』はものがたるが、よもや六曲一双の屏風絵に混沌からの生命誕生を見るとは思いもよらなかった。しかしそれは、たしかに原初への回帰をものがたっていた。
「カオス」と題した屏風絵は、画家・松原賢が描く自身の生還図である。亡き恩師、井上三綱の言霊が松原に破壊と創造をもたらし、新たな境地を拓かせた、その心象を描いたものだという。
「三綱に言われた言葉が胸に引っかかっていましてね。ずっと自分の中でこだましているものですから、それを始末しないことには次に進めない。始末するためにもこの絵を描いておく必要があったのです」
三綱は生前、松原にこう言い遺していた。
「なんでもない健康にならねば、真の感動を得ることはできない」
ふだんはほとんど意見を言わない師匠が、ある日、一枚の絵を見て「不健康さが気になる」と言ったのだ。松原には、思いあたる節があった。それだけにショックだった。不健康さを克服しないまま、恩師が逝くのを見送らねばならなかったことも、松原の胸を膠着させた。指針をなくし、灯りも風もない茫洋とした暗い海にひとり放り出された松原は、逃げるように兄の住持する寺へ身をよせた。そこでの不思議な音の体験からこの画が生まれたのである。打ち震える心を象ってゆく瞬間を、松原はこう書き記している。
――「音」のフォルムが見えて来ていた。が、その前に「なんでもない健康に」ならなければ……『二河白道図』が脳裏に浮かんだ。自分のなかに沈殿する澱を吐き出してしまわなくては白い道を渡ることは叶わない。…… 一畳のパネルを12枚、縦6尺、横6間の画面に『カオス』の制作はまるで祈りのようであった。――
「白い道」とは、この世と阿弥陀如来の浄土の様子をあらわした『二河白道図』に描かれた道のことである。両者を隔てて道の左右に水の河(貪り・こだわりなどのたとえ)と火の河(怒り・憎しみなど)があり、現世で盗賊や猛獣(悪・誘惑など仏道修行の妨げになるもの)の襲来から逃れた者が、河の手前で御仏の聲を聴き、自我を捨てすべてを受け入れたときに、白い道をわたって救われるという浄土信仰の表像である。
はたして松原はこの絵に記憶があった。幼い頃、一家で間借りしていた親戚の寺にあったのを、幼心に恐れをもって観ていたのだ。それを、恩師の言霊と身をよせた兄の寺で聴いた妙音が共鳴しあい、暗中をさまよっていた松原の琴線をふるわせ、記憶の底から浮かびあがらせたのである。
「もう吐き出すような感じでした。三綱との時間を始末しておかなければ、むこうの世界(音)に行けない。だから必死でした。すると自分の中の欲や煩悩が象になってあらわれてきましてね。そうやってカオスを全部叩き込んで、白い道をわたらせてくださいと祈りながら描いていました」
あらわれたカオスは、右隻に三綱の影響を色濃く残した不可思議な象の群がのたうち、救いを求めて群から這い出てきた魂とおぼしき黒い影がやわらかな光のなかで舞い消えたかと思うと、静けさを取りもどした左隻の天上で日輪がかがやき、燃えさかる炎を祝福するかのように光の条を投げかけている。
その景色はさながら赤児が狭い産道をくぐり抜けて生まれ出てくる瞬間のようで、悲痛な叫びや祈念の音声(おんじょう)まで響いてくるような気がする。その苦痛たるや想像もおよばない。
「すべて吐き出したからといって、達観したわけでもなければ悟りを開いたわけでもありません。ただ諦観はできました。ああ、俺の正体はこんなもんだな、と」
わが身の本性を見てしまった恐ろしさ、隠そうにも象にあらわれてしまう悔しさ、それを受け入れるより仕方ないと観念したその瞬間、松原の内奥に巣くっていた井上三綱は成仏した。後には白い道だけが残り、念願の音の世界へと導かれてゆくのである。
(作品上:『舞』、下『カオス』)