紅型で表す琉球の輝き
伝統を超えた色と型と光の饗宴
紅型作家
新垣 優香
ARAKAKI Yuka
工房での日々
その時々を全力で楽しむ新垣には、将来を考える時間すら惜しかった。作品を作っている「今」がただ楽しくて、作家になりたいとか仕事にしたいとか、紅型をずっとやっていきたいという気持ちはなかった。だとしても、身の振り方を考えざるを得ない時は必ずくる。大学受験の準備に入る仲間や工房に入る仲間を目の当たりにし、新垣もようやく「自分は何がしたいのだろう」と、身裡を覗き込んだ。
大学進学という選択肢はない。同じ学校を卒業した姉は上京し、カメラの専門学校に通っている。そういう道もありかもしれない。
「結局、紅型の工房に入りました。専門学校で学ぶというより、実際に紅型の制作をしたかったんです」
運良く知り合いのつてで、ある工房へ就職が決まった。そこは、20年、30年のベテラン弟子が一同に師匠の作品を手分けして制作する、いわゆる職人集団の工房。楽しい高校生活を終えたばかりの新垣にとって、これまでにない緊張を強いられる、張り詰めた世界だった。新入りであっても甘えは許されない。色の作り方を教わるとすぐ、色入れがはじまった。
紅型の作業はまず、使用する道具を作るところから始まる。次いで、図案起こし、型彫り、型置き、色づくり、色差し、隈取り、糊伏せ、地染め、水洗と、いくつもの行程をそれぞれ分担して行ってゆく。ただし、最終的にはすべての行程を一人でできるようにならねばならず、それまでは兄弟子たちとともに、師匠の作品づくりで腕を磨いていくのだ。共同作業ゆえ、少しの間違いも許されない。指定どおり、一つ一つの行程を丁寧かつ迅速に進める必要がある。
「かなりプレッシャーでした。一日だれも何も喋らず、工房はシーンとしているんです。黙々と作業をするというスタイルに、なかなか馴染めませんでした」
もともと明るい性格の新垣に、職人気質の沈黙は耐えられなかった。好きではじめた紅型だったが、しだいに身体が拒否反応を示すように。朝起きて工房に行くことを考えるだけで、身体は鉛のように沈んでゆく。1年が限界だった。
――自分は何十年もかけて職人になりたいのだろうか。それが、自分がやりたかった紅型だったのか?
自問自答する日々が続いた。考えても考えても、行き着くのは「なにかがちがう」ということ。これまで紅型の制作をして「辛い」「苦しい」と思ったことは一度もなかった。高校での制作は楽しかったし、自由な発想で、自由に創作もできていた。自分の作品づくりには「楽しい」という気持ちが必要だったはず。職人ではない。自由に、楽しく制作ができる作家スタイルが自分には一番合っている気がする。誰かの完成図をなぞるのではなく、一から自分の作品を作りたい。新垣の脳裏に「独立」という文字がちらつきはじめた。
沖縄の伝統工芸である紅型に、独自の技法で新たな風を吹き込む新進気鋭の紅型作家、新垣優香さん。大胆なスタイルとデザインで描く紅型は、一目見ただけで彼女の作品だとわかる。師匠につかず、独立独歩で歩んできたからこそ生まれた紅型の新しい世界をご覧あれ。