草で風を描く
見える景色の隠れた姿を写しとる
洋画家
岩井 綾女
Iwai Ayame
高校生の頃に河川敷で風になぎ倒された枯草に魅せられて以来、草を描き続ける洋画家の岩井綾女さん。アーティスト仲間から「あなたの絵は風を感じる」と言われたことを機に、風を意識して描くように。絵を描く意味を問い続け、たどりついた現在の心境とは?
枯草に魅せられて
どこからともなくさらさらと流れてくる風、ごぉーと枯草をなぎ倒しながら吹き抜ける風。あるときはそよそよと、あるときはびゅうびゅうと。静かにたたずんでいたかと思えば、道をみつけて足早に去ってゆく。さまざまな表情をもつ風は、目に見えるわけではない。しかし、ときとしてその姿を現すことがある。木々とたわむれ、草花と遊びながら。
その一瞬を写しとる岩井綾女は、風を描く洋画家である。草をモチーフにして、折々に吹く風を表現する。彼女の作品をひとめ見れば、たしかに風の居どころがわかる。音も聞こえる。匂いもする。風と草木の躍動が伝わってくる。
右へ左へたなびく一面の草、頭上をなでられるまま身をまかせるシロツメクサの群生、あわてて道をあけるススキの隊列、雨の中で倒れまいと身をよじる枯草の一団……。野原を渡るさまざまな風が、画面から吹きつけてくるようだ。
「草が好きなんです」
取材中、岩井は何度もそう口にした。花ではなく、なぜ草なのか。原点は、高校生の頃に見たある風景。強風になぎ倒された枯草が、あまりにも美しいのに岩井は心が打ち震えたという。
「太陽に照らされて、枯草がきらきらと輝いていたんです。枯れてはいてもエネルギッシュで、なんて綺麗なんだろうと感動しました」
美術部の仲間と、モチーフになる風景を探しに本庄市を流れる利根川の河川敷に出かけたときだった。川から吹き流れてきた冷たい風が、冬枯れの草をなぎ倒していったのだろう。風の足跡を残した枯草は光をあびて黄金色に輝いていた。美しかった。春の若葉に負けない瑞々しさがあった。その光景がまぶたの裏に張りついて離れない。以来、岩井のキャンヴァスは草で埋まってゆくことになる。
1987年、岩井は埼玉県熊谷市に生まれた。両親と兄の4人家族。芸術家の流れはくんでいないものの、登山好きの父と趣味で絵を描いていたという伯父の影響は少なからず受けているようだ。加えて自然豊かな環境と、発芽した芽が摘まれることのない穏やかな家庭という土壌が、岩井の創造性を育んでいった。
保育園でのお絵かきの時間、少女は絵を描くのに夢中になった。「絵が好き」とわかってからは暇さえあれば絵を描いた。小学生になってもそれは変わらなかった。得意科目は美術と体育。教科書を広げてものを覚えるよりも、絵を描いたり運動したりと内側からの躍動のままに動いている方が好きだった。
中学で美術部に入り、高校も美術系の学校に進みたいと思っていた岩井は、受験を目前にして自らの弱みと向き合うことになる。
「背景が描けないんです。人は描けるのに、背景はどうやって描いていいかわからない。ずっと人物しか描いてこなかったからです」
もっと上手くなりたい。それには背景を描けるようにならなければ。背景の描き方を学べる高校へ行く。岩井の志望動機は固まった。