世界へ羽ばたく、自由で楽しげな書
命が宿る〝生きている書〟
書家
齋藤 翠恵
SAITO Suikei
主婦から世界の書家へ、華々しく転成した齋藤翠恵さん。清楚でたおやかな佇まいからは想像もつかない剛健な書は、女性の内面に潜む力強さからくるものだろうか。男手、女手をたくみに使い分け、生きる歓びに満ちた書を書き、新たな世界を切り拓く。
平らかな日々
それは、あたかも大きな木がどっしりと紙に根を下ろしたような、たしかな存在感だった。
――川端康成の字?
野太い字で「國」と書かれた作品を見た時の印象である。
そうかと思えば、風に舞っているかのような軽やかな字もある。
――男の字? それとも女手?
雅号を見て、女性だとわかった。齋藤翠恵という名は、その時以来、脳裏に刻まれることになる。
齋藤翠恵は、東京都新宿区の商家に生まれた。両親は、結婚していい家庭をつくることが女性の唯一の幸せと信じていた。そのため、翠恵は幼い頃からお茶、お華……といくつもの稽古ごとをさせられた。
なに不自由なく育ち、幼子は少女になった。夏はヨットに冬はスキーと、楽しくも穏やかな日々が過ぎていった。
あるとき、電車のなかで、向かいの席に座っている人たちを見て思った。「人間は、なんらかの悩みをもっていると聞いたけど、この人たちにも悩みはあるのかしら」
そう思うほどに、悩みや葛藤とは無縁の日々をおくっていたのだ。
見渡す限り凪いだ海のように平らかな生活はその後も続く。親の願いどおり結婚し、ふたりの子供に恵まれた。夫は事業に勤しみ、翠恵は子育てに専念した。
翠恵の心に微妙な波頭が立ったのは、30歳の頃。ふと、この子たちが大きくなって独立したら、自分はどうなってしまうのだろうと我に返った。子供たちのあとを追うのはいや。その時は〝子離れ〟しなければいけない。でも、自分にはなにが残るのかしら? 焦燥感とも危機感ともいえる感情が湧いた。
「そうだ、子育てをしながら一生続けられるものを見つけよう」
思いつくまま、さまざまな習いごとにチャレンジした。刺繍、アートフラワー、編み物……。どれもはじめは面白いのだが、2、3年過ぎると先が見える。そのたび、翠恵の心に満たされない空洞が広がった。