ガラスで表現する〝柔らかさ〟
本場ヴェネチアで開花したみずみずしい感性
ガラス作家
植木 寛子
Ueki Hiroko
女性的で、男性的で
陶磁器などをイメージしてもわかるように、ほとんどの「焼き物」は着想、造形から焼き入れまでを一人でこなす。
しかし、ガラス工芸は、作家と職人の役割分担が明確に区分されている。昔の浮世絵が、絵師、彫り師、刷り師など、それぞれの分野の専門家に分かれていたのと同じように、ガラスの世界もまた分業化がはっきりしているのである。
ところが、植木は製作の現場もしっかりと体験している。
「通常、ガラス工房では4人でひとつのチームを組んで作業を進めるのですが、あるとき、ピノのアシスタントに欠員が生じてしまいました。すると、ピノはすぐさま『ヒロコ、入れ』と私に命じたのです。本来、作家が職人といっしょになって作業をすることはほとんどありません。まして、火がどこにはねるかわからないような現場なので、女性が加わることはほとんどありません」
現場を知ることは大きな利点になる。その後、ピノとの共同作業が増えるにしたがって、あらゆる制作段階の共通理解は必要不可欠となった。
「とにかく危険な現場です。火の温度は約900度。一糸乱れぬタイミングで連携しないと、とりかえしのつかない事態になってしまいます。しかも、細かいことはなにも教えてくれません。ひとことも発せず、体の動きや目の合図だけで瞬時に判断して仕事を進めるのです。そのような真剣勝負の現場で、人がやっていることを見て、盗めというわけです」
職人の世界は日本もヨーロッパも同じなのだろう。懇切丁寧に教えるのではなく、学びたかったら人のすることを見て盗み取れという不文律。古今東西、技術を修得するうえで、特別な近道はない。
「なにもかも盗んでやろうと必死になって働きました。役にたたなければすぐにお払い箱になってしまう。そのうち、言葉を使わなくても連携ができるようになってきました。あのとき、現場での作業を体に刷り込むことができたおかげで、作家としての幅も広がったのではないかと思います」
屈強なイタリア男に混じって、体の小さい20代の日本女性がガラス工房の現場で働く姿は想像しにくい。しかし、植木はそういうことを厭わずにやりとげる奔放さも兼ね備えている。
女性らしさに混じって、男性的な要素も併せもつ植木寛子。自らの直感を信じ、脇目もふらず真っ直ぐ前へ進む様は爽快ですらある。
火のみぞ知るという一期一会
作品『雪の華』の表面のランダムな泡沫は偶然の産物だが、いかにも日本的だ。釉を自然に流した侘びの茶碗にも通底する、和の風情がある。
が、純たる「和」かといえば、そうではなく、ジャクソン・ポロックを彷彿とさせる地球的な前衛も含んでいる。
「海外に行くときは、いつも日本人を代表する一人であるという意識でいます。アメリカへ留学する前、華道や茶道を習ったのも、日本人として最低限必要な日本文化の知識をたしなんでおきたいという理由からですし、海外に行ってその国の人と接し、自分の国の文化を語れないのは恥ずかしいことだと思っていました」
海外で活躍する人の大半がそうであるように、植木も自らの日本人性を意識せずにはいられなかった。どこへ行っても、何を作っても、その背景にある民族のアイデンティティを問われないことはない。なぜなら、民族性は、本人が意識せずとも無意識のうちに表出してしまうことがあるからだ。
「ジャポニズムシリーズを手がけるようになって、新たな境地がほのかに見えてきました。最後の最後はデッサンのとおりにはいかない、結果は火のみぞ知る、という一回性がとても面白いのです」
日本と西洋の特色を皮膚感覚で理解しているからこそなしえる領域があるはずだ。植木の本領は、そこにある。
短大を卒業後、単身渡欧し、やがてヴェネチアを拠点に制作を始めたガラス作家・植木寛子さん。「女性的なものが好き」という言葉どおり、ハイヒール、女神、クラゲなど、彼女の生み出す造形と色彩は妖しいほどに女性的である。