あわい
2020年3月8日
間と書いて「あわい」。古典読みなら「あはひ」。音の響きからでしょうか。「あいだ」と読むより、やわらかい感じがしませんか。日本人には馴染みの「間」は「ま」と読んで距離や間隔、あるいは時間、空間、余白などさまざまな意味を持ちあわせています。
もともと「合う・会う」と字源が同じ「あわい」。だからなのか、日本人にとって「間」は社会生活を送るうえで欠かせないもののような気がします。
間がいいか悪いか、間を合わせられるかどうか、間が持つかどうか。漢字ひとつとっても、「間」のつく言葉はたくさんあります。先にあげた時間、空間、間隔はもとより、仲間、手間、間合、世間、日本間、間口……などなど、あげればキリがありません。そもそも、わたしたち自身が人の間、人間です。
能楽師の安田登さんによると、あわいとは、この世とあの世をつなぐ境界、前と後ろをつなぐ媒介なのだそう。安田さん演じる「ワキ方」がそれ。幽玄の世界を観せる能楽は、媒介者であるワキが異界の存在であるシテと出会い、現実世界と異界をつなぐ「あわい」の存在として、シテの思いを晴らすまでが描かれているそうです。
―― 桜花 咲きかも散ると見るまでに 誰かもここに見えて散りゆく(『万葉集』柿本人麻呂)
またたく間に散ってゆく桜と同じように、花見に訪れた人々も誰とは知らぬ間に去ってゆく、と柿本人麻呂は歌います。
花のように人の一生も移ろうもの。ゆらぎ、移ろいながら道々の人との出会いと別れを繰り返します。人は、人と人とのあわいの中で、人間になってゆくのだとしたら、袖振り合うも多生の縁。ささやかな関わりでさえ、愛おしく大切なものに思えてきます。
(200308 第68回 絵:葛飾北斎「東海道品川御殿山ノ不二」)