かはたれ時
2019年1月14日
「彼は誰?」
その昔、人の顔がよく見えない時刻にそうやって訪ねていたそうです。
転じて、薄暗い朝方や夕方のことを「かはたれ時(彼は誰時)」と言うように。
のちに「誰?彼は(たれそかれ)」と、言葉を反転させた「黄昏(たそがれ)」が夕方を、朝方を「かはたれ時」と使い分けるようになりました。
『万葉集』にこんな歌があります。
− 暁(あかとき)の かはたれ時に 島陰(しまかぎ)を
漕ぎにし舟の たづき知らずも (『万葉集』巻20-4384)
(明け方の薄暗いときに島陰を漕ぎだしていった船の、なんと頼りないことよ)
先が見えない中を進んでいくことほど、心許ないことはありません。ましてや大海原へ漕ぎだしてゆくのですから、見ているほうも気が気ではないでしょう。
大人の仲間入りをする若者たちにとって、成人の日は「かはたれ時」。期待と不安を胸に、まだ見ぬ未来へ一歩を踏み出していく。親にとれば、幼いころの面影を残した我が子を送りだすのは、一抹の不安と寂しさもあると思います。
だとしても、ときおり見せる大人の顔は、「あなたは誰?」と訊ねたくなるほど、成長した我が子はたくましく誇らしい。
無事、かはたれ時を迎えられたことを祝福して、送りだしてあげたいですね。
(20190114 第29回)